公開:2024年07月29日
炎症性腸疾患における再生医療の現状
〜臨床応用に向けたトランスレーショナルリサーチの重要性〜
炎症性腸疾患(IBD)の潰瘍性大腸炎とクローン病は、TNF-α抗体製剤の登場により炎症制御が可能になり、寛解維持が望めるようになりました。近年の研究で、炎症制御に加えて、損傷した消化管組織の機能と構造を回復させる「粘膜治癒」が再燃を防ぐ上で重要であることがわかり、粘膜治癒を治療目標とした考え方が世界的に普及してきています。
2022年7月、東京医科歯科大学で難治性潰瘍を伴う潰瘍性大腸炎の患者さんに、世界初となる自家腸上皮オルガノイド移植治療の第1例目が実施されました。このような新たな再生医療を臨床応用につなげるにはいくつかのハードルを越える必要があります。研究グループを率いる岡本隆一先生に、基礎から臨床へ橋渡しをするトランスレーショナルリサーチの現状と展望についてお話いただきました。
(取材日時:2023年10月26日(木) 取材場所:東京ガーデンパレス)
東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科
消化器病態学分野 教授
岡本 隆一 先生
第2回 基礎研究から臨床応用へと橋渡しをする
トランスレーショナルリサーチの重要性
―基礎研究から臨床応用へと橋渡しをするトランスレーショナルリサーチは「死の谷」ともいわれていますが、特に苦労している点はなんでしょうか。
再生医療の道を切り拓いた先生方のアドバイスをもとに
現時点で一番苦労しているのは、移植する細胞の安全性をどこまで確かめるかという点です。安全性は絶対に必要なことでありますが、確認を厳密にすればするほど製造コストは上がりますし、それをどこまで許容するかという問題が生じてきます。また、私たちが安全性を確認したいポイントのほかにも、規制当局によるルールに則って確認すべき事項も多くあります。それら両方を満たしつつ臨床に近づく努力をしていかなければいけないことに、私たち自身はじめての取り組みだったこともありとても戸惑いました。
とはいえ、幹細胞を使った再生医療については心臓や角膜など先行する研究領域があり、各領域で再生医療の道を切り拓いてきた先生方からサポートやアドバイスをいただく機会に恵まれました。私たちが腸上皮幹細胞を用いた研究を始めた10年前はiPS細胞が発表されて間もない時期で、政府主導の再生医療関連の大型プロジェクトが立ち上がったころでした。私たちは平成25年度に、当時、国立研究開発法人 科学技術振興機構(JST)の事業だった「再生医療実現拠点ネットワークプログラム」*において「疾患・組織別実用化研究拠点」に「培養腸上皮幹細胞を用いた炎症性腸疾患に対する粘膜再生治療の開発拠点」として採択されました。同プログラムでは毎月各拠点の研究プロジェクトリーダーが集まる場があり、お互いの進捗状況をオープンに開示しながら悩みを共有してきました。また、規制関係についてサポートしてくれる専門部隊もあり、不慣れながらも相談相手が近くにいる環境で進めてくることができたのは幸いでした。
*同事業は、2015年4月1日から、国立研究開発法人 日本医療研究開発機構(AMED)に移管。
臨床医としての思いと研究者としての好奇心が原動力
ほかにも研究を進めていく中で難しさを感じることは多くありますが、この研究を10年間続けることができたのは「きっとこの研究は患者さんに役立つ治療になるに違いない」という思いがずっと変わらなかったからです。そして、共通の目標や理想を抱き、一緒に動いてくれるチームがいるから可能になったことだと思います。臨床医としての使命感もありますが、研究者として炎症性腸疾患の病態理解につながる部分にも興味があります。その両方があるからこそ続けられるのでしょう。
―大学内ではどのような体制でトランスレーショナルリサーチを行っていますか。
大学全体で再生医療から一歩進んだ創生医学へ
東京医科歯科大学先端医歯工学創成研究部門では、創生医学コンソーシアムが中心となって、再生医療からさらに一歩進んだ「創生医学」研究を展開しています。私たちの研究は、本コンソーシアム内の「消化器創生ユニット」の枠組みで行ってきたものです。
このコンソーシアムのように、大学全体で再生医療やその先の創生医学に取り組んでいく姿勢があり、研究資金を含むさまざまなサポートを受けられたことは大きな推進力となっています。大学院生や若手研究者が研究に専念できるサポート体制のほか、法的な対応や関連企業との協調に関する事務部門の専門的なアドバイスやサポートにも大いに助けられました。
各分野の専門家が集まってグループを形成
私たちのチームは、臨床医、基礎研究医、内視鏡専門医などで構成され、それぞれが専門技術を持ち寄る形で再生医療の実現に向けたグループを形成しています。私自身は臨床と研究の両方に携わっています。研究を進める中でグループ外の専門家や他科の協力を得ることも少なくありません。例えば内視鏡の技術については消化器内科のメンバー間で相談し合っています。また、私たちが移植に使う腸上皮細胞は体性幹細胞ですが、iPS細胞の培養に使う材料や増殖因子と共通する部分もあるため、学内のiPS細胞研究グループと協働することもあります。
―現時点で目標としているものと、そのためにクリアすべき課題を教えてください。
治療法の開発とともに、評価方法や判断基準となるポイントを見つける
医師が細胞治療の必要性があると判断した患者さんに、診察後1週間程度で内視鏡下での移植手術ができるようにする、それが思い描いている理想の一つです。
そのような理想を実現するには、培養から移植に至る治療法を開発するだけでなく、どのような症状の患者さんが治療を必要とするのか見極めることが重要になります。先述したとおり、潰瘍性大腸炎の患者さんのうち6割近くの患者さんは薬で炎症を抑えることができますが、薬が奏効し粘膜治癒まで至っているのはその半分にも満たない状態です。炎症を抑える薬だけで十分な治療効果が得られる患者さんと、細胞治療が必要となる患者さんにはどのような違いがあるのか、評価方法や判断基準となるポイントを見つけ、より適切な治療が行えるようにしていく必要があります。これらが定まれば、治療薬剤の選択にも役立つはずです。
消化管のどこから組織を採取するかという問題も
またオルガノイドを作成するにあたり、患者さんの細胞をどこから採取するかという問題もあります。現在は、腸上皮細胞の中でも炎症の影響がもっとも少ないだろうと思われるところから採取しています。しかし、消化管には奥行きがあるため、現時点ではもっとも培養に適した採取位置は明らかになっていません。培養スピードは、患者さんごとに違いが出る場合はありますが、細胞を採取する場所によっても培養スピードが異なってくる可能性もあるため、最良の細胞を採取する方法を見出したいと思っています。
近い将来、機能を失った腸はiPS細胞で新たに作り直せる世界に
私たちのグループでは、現在進めている潰瘍性大腸炎の自家腸上皮オルガノイドを使った移植治療と並行して、クローン病の移植治療に関する研究を進めています。小腸と大腸の粘膜などに慢性炎症が起きるクローン病は、潰瘍性大腸炎と同じようにTNF-α抗体製剤を用いた薬物療法、腸管を安静にする栄養療法などが行われますが、腸閉塞や穿孔などの合併症が生じることも多く、そうなると外科手術を行うことになります。深い層で炎症が起きることで腸管そのものが機能を失い、または狭窄をきたし、その治療のために繰り返し腸管切除を行った結果、短腸症候群(SBS)を発症することもあります。
一歩先の治療では、iPS細胞を使って機能を失った腸全体を作り直すことができるようになるかもしれません。潰瘍性大腸炎のように粘膜表層を再生させるのであれば患者さん由来の体性幹細胞から作ることができますが、クローン病では炎症が全層に及ぶこともあるため、その場合はiPS細胞でもっと立体的に作る必要が出てきます。ここまでくると再生医療の枠を超えてまるでSFのような話になってきますが、技術的にはすでに可能なところにあり、近い将来そのような世界がくることは明らかです。腸に限らずさまざまな臓器や組織を作るティッシュエンジニアリングという分野が立ち上がり、企業も参入していますから、そこに私たちの技術も加えていきたいと考えています。
―トランスレーショナルリサーチを進めるうえで大切なものは何だとお考えですか。
時間を忘れて打ち込める研究テーマを見つけてほしい
トランスレーショナルリサーチに限らず、臨床でも基礎研究でも、興味関心のある研究テーマを見つけることが大切だと思います。研究を行ううえで自分が好きだと思えることでなければなかなか続けることはできません。夢中になれるものは誰かに教えられたり、強要されることではないだけに自分自身で見つけるしかないですが、特に大学院生など若い人たちには「私はこれが好きだ」と夢中になれる何かを見つけてほしいと思っています。
10年にも及ぶ研究を進めていく中で研究を継続する力になったのは、「この研究がきっと患者さんの役に立つ」という思いと、研究者としての興味があったからと語った岡本先生。この興味こそが、治療法の研究を次なる一歩へと進める力になっているのだと取材を通して感じました。
岡本先生、ありがとうございました。
炎症性腸疾患における再生医療の現状
〜臨床応用に向けたトランスレーショナルリサーチの重要性〜
2024年07月29日公開
東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科
消化器病態学分野 教授
岡本 隆一 先生