公開:2023年11月28日
がん研究会有明病院における医療安全対策の取組み
診断技術の向上や新薬開発の進歩などに伴い、がん診療の選択肢は年々複雑化しています。ゲノム医療といった新たな診療が導入される中、それに応じた安全管理体制を改めて構築する必要もあり、医療者はより一層高い意識をもって医療安全を推進していくことが求められています。 そこで今回は、がん専門病院として多職種チームで医療安全管理対策を実施されているがん研究会有明病院の皆さんにお話を伺いました。副院長で医療安全管理責任者を務める大野先生の進行のもと、院内における対策の具体例や、その中で見えてきた課題についてご紹介いただきました。
(取材日時:2022年11月29日(火)
取材場所:有明セントラルタワーホールカンファレンス)
がん研究会有明病院
進行 大野 真司 先生【副院長/医療安全管理責任者】
※現所属 社会医療法人博愛会 相良病院 院長
今村 裕 先生【食道外科 医長】
植木 有紗 先生【臨床遺伝医療部 部長】(リモートにて参加)
佐藤 由紀子先生【病理部 副医長】
根本 真記 先生【医療安全管理者 医療安全管理部主任薬剤師】
第1回 がん専門病院として新たに取り組むべき「医療安全」対策とは
がん診療におけるゲノム医療の進展に伴い、それに応じた医療安全対策の取り組みが求められます。第1回では、遺伝学的検査が増える中でのその情報の取り扱いや、医療者たちの遺伝リテラシーの向上について伺います。
患者さんもスタッフをも惹き付ける病院とは―医療安全管理の重要性
大野先生【座長】 『マグネットホスピタル』*という言葉をご存じでしょうか。これは私も病院のブランディングについて調べていた際に知った言葉なのですが、患者さんやスタッフを惹き付けて離さない魅力的な病院を意味する概念だそうです。米国で毎年選出されているベストホスピタルの評価ポイントの一つにもなっています。
そこで、マグネットホスピタルの逆はどのような病院なのか考えてみました。患者さんが去り、スタッフも去っていく病院で起きる一番大きな出来事と言えば、それは医療事故です。事故が起きたという事実だけでなく、その対応に失敗することで、患者さんやスタッフはもっと離れていきます。つまり、病院を生かすも殺すも医療安全にかかっていると言っても過言ではないでしょう。 医療安全の重要性が年々高まる中、当院でもクオリティーマネジメントセンター(図)を組織しています。医療安全管理部はその中の1つの部署として私が務める医療安全管理責任者のもと、取り組んでいます。本日はがん診療の発展に伴い、新たに求められているゲノム医療における患者誤認対策や、インシデントの院内での共有方法などについて、当院の医療安全について先頭になって取り組む先生方と共にディスカッションしていきたいと思います。
*マグネットホスピタル:看護師不足が深刻だった1970~80年代の米国において、看護師を惹き付け、高い定着率を維持している病院を調査することから生まれた概念。患者・医師・看護師等を惹き付けて放さない魅力的な病院という広い意味でも使われる。
ゲノム診断における患者誤認対策:BRCA1/2遺伝子検査の例
遺伝学的検査の匿名化IDをカルテIDに使用、検査会社・患者さんとも確認していく
大野先生 遺伝学的検査の役割は、以前ならば遺伝子異常の有無の判定までであったところが、今では治療方針に深く関わるようになりました。例えばBRCA1/2遺伝子検査でHBOC(遺伝性乳がん卵巣がん)という診断を受けた場合、健康な卵巣や乳腺を摘出するという治療方針にも関わってきます。
植木先生【臨床遺伝医療部 部長】 ゲノム関連の検査数・出検数が増加している中で、どのように個人情報を管理し、取り違え等を防止していくのかが大きな課題です。遺伝学的検査は個人に直接紐付く情報であると同時に、検査を出検するためのステップが複数存在するため、そこで取り違えが起こらない安全対策が必要です。 当院では個人との照合が確実にできることを目的に、検査時の匿名化IDを患者さんのカルテIDに使うという運用を取り決めています。これを行うことによって出検時に検査科とのダブルチェックが可能になります。また、検査結果を患者さんにお戻しする時にも「ここにあなたのお名前は書いてありませんが、匿名化IDからあなたのものであることは間違いありません」ということを医療者・患者さん間でもダブルチェックする形になります。患者さんご自身が検査結果を紛失・放置した場合に個人の不利益に繋がり得る可能性も十分に吟味した上で、現時点では個人名ではなくワンクッション置いた形で匿名化IDを用いることにしています。
大野先生 従来の検査であれば個人名が記載されているところを、遺伝学的検査には個人名ではなく匿名化IDが付されており、そのために事故が起こりやすいという問題点があります。レントゲンやCT、病理検査などでしたら、もしそれに付された名前が間違っていても、それらの結果は当の患者さんのものではあり得ないことがわかることが多いので、『そんなはずがない』と気づくことができます。ところが遺伝学的検査の場合は『そんなはずがない』がありません。しかも、一度間違えてしまうと修正されないまま治療方針が進んでしまうおそれがあります。
遺伝学的検査の増加に伴い、チェック体制の確立・サポートがますます課題に
大野先生 遺伝学的検査はその数も年々増えており、数が増えれば間違うリスクも高まります。特にBRCA1/2遺伝子検査は保険承認後に急増しました。
植木先生 当院では年間約900件検査しており、検査会社からの結果も一度に数件単位で返却されます。検査部の方々には個人を識別する際のステップで間違いが起こらないように細心の注意を払ってもらっていますが、そこをサポートできるような、より確認しやすい体制があるのが望ましいです。
佐藤先生【病理部 副医長】 病理部はがんゲノムプロファイルのための検体を準備する立場にあり、その段階で取り違えてしまうことが最も怖いと感じています。検証できる形で情報を残すことを目的に、検査のための組織切片と同時に作成したHE標本を画像に取り込んで保管しておき(WSI=病理標本のデジタル化)、実際に検査された切片が本人のものであると追跡できる体制にしています。準備するのは臨床検査技師さんです。その段階で取り違えが起きてはなりませんから、それこそ精神がすり減るような思いでやってくれています。
大野先生 臨床検査技師さんのストレスは相当のものがあると思います。従来の病理検査はもちろんですが、遺伝学的検査というのはこれまで以上にたくさんの職種が関わってきて、しかもプロセスが多岐にわたっていますので、医療事故のリスクが上がることが懸念されます。
植木先生 もし万が一取り違えてしまい、侵襲的な処置となった時にどのようなアウトカムが生じるのかということを意識することが重要です。遺伝学的検査の結果は陽性・陰性を伝えるだけのものではありませんし、その後の健康管理だけでなく侵襲的な処置につながるおそれがあることをイメージしてもらえるよう、遺伝学的検査に関わるみなさんにお伝えしていきたいと改めて思います。
医療者の遺伝リテラシーの向上に向けて
遺伝情報を共有する上で全ての医療者に求められる”遺伝リテラシー“
植木先生 当院では遺伝学的検査の結果を電子カルテに取り込むことで、全ての医療者が共有・確認でき、その上で適切な医療を提供できることを目指しています。
ただし、このように遺伝情報を全ての医療者が閲覧できる体制を維持するためには、遺伝学的検査結果やゲノムプロファイルが何を意味するのかを理解するとともに、万が一それが不適切に取り扱われた時に患者さんの不利益になり得ることも理解した上で、情報を取り扱う必要があります。したがって、医療者の遺伝リテラシーの向上にも取り組んでいく必要があると思っています。
根本先生【医療安全管理者 医療安全管理部 主任薬剤師】 医療者全員がカルテの情報を共有する重要性を痛感していますが、遺伝情報となるとがん専門病院で働く我々でさえも少し特別であるという感覚を持ってしまい、検査結果の意味や治療方針への流れを十分に理解できていない部分があるのは否定できません。遺伝情報をどのように共有・管理すべきなのかについては、個人情報保護委員会により医療者全体を対象にした講演会が開かれるなど、少しずつ啓発が進んでいると思います。
植木先生 遺伝情報の取り扱いについては、2022年3月に日本医学会のガイドライン*が11年ぶりに改定されました。以前は発症者・未発症者では取り扱いに差があり、既にがんと診断された方の情報は医療者の中でも十分共有できるような体制が敷かれるべきであるという一方で、未発症者は不特定多数の目に触れるべきではないという扱いでした。しかし、今は未発症者についても早期発見・早期治療といった対策が講じられる時代になり、遺伝学的診断があるにも関わらず既発症者と未発症者を分けることはナンセンスであるという状況になっていますので、当院でも両者を区別せず管理していこうと考えています。
根本先生 患者確認のあり方など情報管理についても、取り扱いに慣れていない職員に対してチェックポイントの共有などができればと思います。他の診療では患者氏名とIDとを確認するなどいろいろな場面で共通した同じ手順で行うのですが、やはり遺伝情報となるとそこが特殊です。
*医療における遺伝学的検査・診断に関するガイドライン(2022年3月改定)
https://www.jsog.or.jp/news/pdf/202203_guidelines.pdf
院内外に向けて情報発信するGene Awareness* チームが発足
今村先生【食道外科 医長】 遺伝子診療は加速度的に進歩しており、それに接したことがある人とそうでない人では理解度がかなり分かれるところかと思います。中途半端な知識ではカルテに誤った記載をするおそれもありますし、今後もいろいろな問題点が考えられ、臨床上は非常に怖い領域です。私個人としては興味があり知識をアップデートするようにしていますが、医師の常識の範疇としてどこまで知識を押さえておくべきかの基準はありませんし、その教育のための社会的・学会的な仕組みが今後は必要となってくるかと思います。
大野先生 遺伝子診療が導入されている臓器はまだ限られていますが、遺伝子解析が今後も進んでいけばさらに広がっていくことは考えられます。当院ではそうした将来に向けて『Gene Awarenessチーム』を立ち上げ、院内での臓器横断的な繋がりを目指すとともに、差別のない社会を目指して広く啓発活動を行っていきたいという願いのもと、対外的にも講演活動などで植木先生を中心に活動してもらっています。遺伝子診療については、これからもいろいろな場で紹介していただきたいと思っています。
植木先生 遺伝情報が治療に関わる場面が増えれば、検査や診断を導入する大きなモチベーションとなりますし、若い医療者にとっても知識を得ようとするモチベーションになると思います。これからも遺伝子診療についての情報を院内外に共有してアップデートしていけるような取り組みを続けていきたいと思います。
*Gene Awareness:遺伝や遺伝子に関心を持つことや、遺伝性腫瘍について情報を得て、患者さんや血縁者のがん治療や健康管理にどうやって役立てられるか考えることを提唱し、がん研究会有明病院から発信している言葉です。
第2回では、がん研有明病院でのカンファレンス体制や病理レポート等の連絡体制について伺います。
がん研究会有明病院における医療安全対策の取組み
- 第1回 がん専門病院として新たに取り組むべき「医療安全」対策とは
- 第2回 がん研究会有明病院における「医療安全」対策の具体例
- 第3回 インシデント発見後の「対策→周知→実行」の実際
- 第4回 がん研究会有明病院における「医療安全」対策の展望と
医療関係者へのメッセージ
2023年11月28日公開
がん研究会有明病院
進行 大野 真司 先生【副院長/医療安全管理責任者】
※現所属 社会医療法人博愛会 相良病院 院長
今村 裕 先生【食道外科 医長】
植木 有紗 先生【臨床遺伝医療部 部長】(リモートにて参加)
佐藤 由紀子先生【病理部 副医長】
根本 真記 先生【医療安全管理者 医療安全管理部主任薬剤師】