公開:2024年10月04日

ブレスト・アウェアネス啓発による乳房の健康教育への取り組み
~適切な情報提供とは〜

かつては乳がんの早期発見に繋がるとして自己触診が勧められていましたが、現在はそれがブレスト・アウェアネス(乳房を意識する生活習慣)という概念に置き換わり、日本乳癌検診学会が中心となって一般市民に向けてその概念が啓発されているところです。ブレスト・アウェアネスが身につくことで乳房の健康教育にどのような効果があるのでしょうか。厚生労働省がん対策推進総合研究事業「乳がん検診の適切な情報提供に関する研究」の代表研究者であり、ブレスト・アウェアネスの啓発に尽力されている笠原善郎先生に伺いました。

(取材日時:2023年12月7日(木)  取材場所:ホテルフジタ福井)
福井済生会病院院長 乳腺外科
笠原 善郎 先生

第1回 乳がん検診のあり方~指針改正の狙いとは

第1回では、乳がん検診の目的と、検診による利益・不利益、そして乳がん検診の受診率向上のカギとして期待されるブレスト・アウェアネスの概念について教えていただきます。
「検診と診療」、「検診と健診」の違いについて理解しているつもりでも、一般の方が納得できる説明をするのは意外に難しいかもしれません。まず、「検診」とは何かについて伺いました。

● がん検診の目的とは

「検診」は症状のない健康な人に対して行うもの

がん研究会有明病院 大野 真司 先生 第1回

「診療」は症状のある患者さんを見落としなく診断すること。それに対し、「検診」は症状のない健康な人が対象です。 つまり、「がん検診」とは無症状で元気な生活者を対象に何らかの検査をし、がんの疑いがある人を選び出していくというものです。実際には、例えば乳がん検診では1,000人が検診を受けてもがんが見つかるのは2、3人に過ぎず、残り997人には異常は見つかりません。つまり、この997人に検診による不利益を与えないようにすることが重要になります。

「診療」は確定診断につなげるため、より精密で高額な検査や侵襲を伴う検査を実施できるのに対し、「検診」は自治体などの実施者側がある程度の費用を負担しますし、侵襲性が低い検査である必要があります。したがって、診療は個人の利益、がん検診は集団の利益が主体であるということを前提に考えるべきものです。

検診=スクリーニング、健診=ヘルスチェック

「検診」と「健診」の違いも確認しておきましょう。「健診」とは、健康状態を確認し、生活習慣病などの疾患のリスク因子を見つける“Health check up”です。それに対し、検診は“Screening”(ふるいにかけること)で、特定の疾患が疑われる人を大まかに選別することであり、診断ではありません(表1)。人間ドッグや職域健診では、健診と検診が並行して行われているのが現状であると言えます。

―それでは、対策型検診と任意型検診の違いとは?

「対策型検診」は公的資金内で利益と不利益のバランスを図りながら行われるもの

対策型検診とは健康増進法に基づく自治体による公共政策であり、公的資金を使っているものですから、限られた資金内で利益と不利益のバランスを考えながら集団を対象に行っていくものです。それに対して、任意型検診は法的根拠はなく、あくまで個人の希望で行われます。何らかの補助はあっても、費用は原則的に自己負担であり、個人が利益と不利益を了解しながら受けるものです(表2)。
一方で、これまで職域検診は任意型検診であると捉えられていました。しかし、職域ではあってもそこで働いている集団全体の利益を考慮するものであるという考えから、最近は対策型検診として位置づける方向性にあります。つまり、職域検診についても対策型検診のように法律に基づいた基準で精度管理をしながら行うという考え方を取り入れていくべきであると言われています。

―乳がん検診の利益とは?

乳がん検診の利益(目的)は早期発見・早期治療ではなく
「がん死亡率を低下させる」こと

がん検診の利益は、「がんで命を失わない」ということ。これががん検診の第一義的な利益であり目的です。全世界的に、がん検診の利益はがんによる死亡率を低下させることと考えられています。
ところが、乳がん検診では早期発見・早期治療という言葉がひとり歩きし、乳がん検診の目的は早期発見・早期治療であるというような誤解を与えることがあります。しかし、乳がん検診の目的が早期発見・早期治療となれば、精度の高い検査をするために高額な機器で検査する必要が出てきます。正しい診断に結びつけるためには、PDCA(Plan-Do-Check-Act)サイクルに従って正確かつ頻回に検査を重ねていくことにもなりますので、そもそもの検診の目的から外れていってしまいます()。
早期発見・早期治療というのは「乳がんで命を失わない」ための”手段”として考えるべきです。ここで手段と目的が入れ替わってしまうと議論がかみ合いませんから、乳がん検診の「目的」を社会全体が共有することは非常に大切なことであると思います。

―乳がん検診の不利益とは?

乳がん検診には不利益もさまざまにあります。例えばマンモグラフィ検診の場合、放射線被ばくの問題もあれば、乳房を挟むための痛みもありますし、検査を受けたことで結果を心配することによる不安感なども含まれます。それに加えて、過剰診断、偽陰性、偽陽性という3つの不利益を知ることが重要です。

その人の命に影響のないがんを見つけてしまう「過剰診断」

「過剰診断」とは、その人の命に影響を与えないがんを見つけてしまうということです。例えば、90歳の女性が乳がん検診で5㎜というごく早期の乳がんが見つかったとして、もしかしたらそのまま治療せずにいてもこの患者さんの寿命は変わらなかったのではないか、という場合です。乳がんではこうした例が少なからずあると言われており、前立腺がん、甲状腺がんやその他の高齢者での進行の遅いがんでも起こり得ることです。早期発見できて「よかった」という結果になればいいのですが、もしも検診を受けなければがんも見つからず、体にメスを入れて外科手術を受けることもなく、がんであるという精神的なストレスにもさらされないまま平穏に一生を終えられたかもしれません。過剰診断かどうかは乳がんと診断された時に判断することはできませんが、こうした不利益があることを知っておいていただきたいです。

がんであったのに発見されない「偽陰性」

「偽陰性」とは、がんであったのに検診で発見されず、次の乳がん検診までの2年間に乳がんが出現し発見される場合です。その理由として、1つめは決して見落としていたわけではなく、マンモグラフィ上で指摘し得ないがんがあった場合です。2つめは、非常に増殖の速いがんという場合があります。検診時のマンモグラフィに写っていなくても、半年後には写っているといった状況です。3つめは明らかに写っていたのに見落としていたという場合ですが、最近は読影技術が日本乳がん検診学会精度管理中央機構の教育システムにより非常に進歩しているため、3つ目は極めて少なくなっていると考えています。
1つ目、2つ目は検診のシステム上ゼロにはできませんが、3つ目は可能な限りゼロに近づけたいものです。

結果的に乳がんではなかった「偽陽性」

「偽陽性」とは、要精密検査とされたけれども、結果的に乳がんではなかったケースです。精密検査が必要と告げられれば不安になりますし、針やメスを入れる侵襲的な検査を行えば身体的負担や経済的負担も生じますので、乳がんではなかった場合には不利益となります。偽陽性の不利益は、頻回に検診をすればその度に起こる可能性がありますが、一方で、がんが見つかったとして治療するのは1回であり、利益はたったその1回でしかありません。偽陽性の不利益は受ければ受けるほど累積していくということは知っておく必要があると思います。偽陽性はゼロにすることはできませんが、この偽陽性をなるべく低い確率に抑えられるように乳がん検診を行っていかなければなりません。

―乳がん検診に利益・不利益があることについて、どのように伝えていけばいいのでしょうか?

不利益もある一方で、乳がん死亡を減らすという大きな利益がある

乳がん検診の利益と不利益は、同じスケールで測れるものではありません。片や死亡リスクを下げる、片や過剰診断になるかどうかなどはその時点ではわからないからです。あくまで公共政策として実施するものですから、十分な情報を提供し、それを理解した上で受けていただくことが重要です。死亡を減らすという利益については何ものにも替えられませんから、「若干の不利益はある中で、総合的には利益のほうが遙かに大きいということが世界的な評価である」といったニュアンスを伝えていくことになると思います。がんの罹患や死亡については誰でも非常に重く受け止めることですから、不利益があるならやめようという人は少ないと思います。

―利益・不利益の両面があるという点で、ワクチン接種の考え方と似ているところがある気がします。

乳がん検診も社会全体の健康を守る公衆衛生の考え方に基づき実施されている

ワクチン接種による利益は、自分がウイルスに感染しない、あるいは万が一感染しても他人にうつしにくくするというものであり、特に感染症の場合はそれが利益として集団や社会において成り立っていると言えます。一方で副反応などの不利益もありますが、社会全体のことを考えた上では利益のほうが大きいため、その事実に基づいて個人が利益と不利益を判断して受けていただくということになります。個人を守るのは医療であり、社会全体の健康を守るのが公衆衛生の考え方です。それは対策型乳がん検診も同様で、ある意味公衆衛生の考え方に基づいて行われていると考えられます。

● 乳がん死亡率減少のために必要な要素とは

受診率の向上が第一。コールとリコールで個別の呼びかけを

乳がん検診において、最終目標である乳がん死亡を減らすためには3つの要素があります。1つめは、検査方法が乳がん死亡率減少に有効と認められたエビデンスのある検査(マンモグラフィ)であることです。2つめは、その検査方法を精度管理のもと正確に施行する必要があります。そして3つめが受診率の向上で、この3つのどれが欠けてもいけません。中でも受診率の向上は非常に重要で、マンモグラフィ検診の受診率は欧州では概ね7~8割弱、米国では8割弱に上りますが1)、日本はまだ5割に届かない程度です(令和4年の受診率は47.4%)2)。死亡率を減らすには、まず検診を受けていただかなければなりません。
 受診率を上げるために重要なのが、コール(個別受診勧奨)とリコール(再勧奨)です3)。新聞やテレビのようなメディアを使った手段の効果ははっきり示されていません。具体的な例としては、身近な医療従事者として接する開業医の先生方が、ちょっとした機会に「今年は乳がん検診を受けましたか」などと声をかけ、利益と不利益を挙げながら検診の重要性を説明するのがよいでしょう。受診率向上のためには、こうして個別の受診勧奨が最も効果的であると考えられます。

1) 厚生労働省 第39回がん検診のあり方に関する検討会:参考資料6,がん検診国際比較
https://www.mhlw.go.jp/content/10901000/001132584.pdf (2024年2月閲覧)
2)厚生労働省 第39回がん検診のあり方に関する検討会:参考資料5,がん検診の受診率の推移
https://www.mhlw.go.jp/content/10901000/001132583.pdf (2024年2月閲覧)
3)厚生労働省 がん検診のあり方に関する検討会:がん検診事業のあり方について,令和5年6月,p8
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12600000-Seisakutoukatsukan/0000114068.pdf (2024年2月閲覧)

● 現行のがん検診指針のポイント

令和3年に改訂された「がん予防重点健康教育及びがん検診実施のための指針」(以下、がん検診の指針)では、各がん共通の事項として「がん検診の利益と不利益についての説明の実施」が定められ、積極的に受診勧奨する対象の年齢の上限は69歳と定められました。

乳がん検診では自己触診が削除され「ブレスト・アウェアネス」へ変更

乳がん検診では自己触診という言葉が削除され、代わりに「ブレスト・アウェアネス」が採用されました。実際、自分で触診して診断することはできませんし、乳がん死亡率の低減の効果も証明されていません。むしろ自分で触ってみて過度な心配から医療機関を受診し、偽陽性が増えるという弊害もあります。
そもそも、触診はマンモグラフィのような検査方法が確立されていなかった時代の検査といえます。自分で触ることが医師による検診の代わりになるのではないか、ということで米英において自己触診が始まったのですが、やはり混乱や悪影響が出てきたために米国の指針(United States Preventive Services Task Force, USPSTF)でも否定されています4)。実際にがん検診として自己触診をしたという報告もありますが、それでも死亡を減らす効果は無いという結論が出ています5,6)

4)US Preventive Services Task Force Ann Intern Med, 151:716-726,2009
5)Semiglazov VF, et al. Vopr Onkol, 45:265-271,1999
6)Thomas DB, et al. J Natl Cancer Inst, 94:1445-1457,2002

ブレスト・アウェアネスとは「乳房を意識する生活習慣」を意味する

ブレスト・アウェアネスとは、「女性が自分の乳房に興味を持ち意識して生活すること」およびそれに関する健康教育のことを指す言葉で、1990年代に英国で始まった概念です。日本では具体的には、①自分の乳房の状態を知る、②乳房の変化に気づくことができる、③変化に気づいたらすぐに医師に相談する、④40歳になったら2年に1度の乳がん検診を受ける、の4つの項目からなる生活習慣を身につけることです。触る時もしこりを探すという意識ではなく、「いつもの乳房と変わりがないか」を確かめる意識で取り組みます。あくまで生活習慣ですから、例えば「毎朝、鏡の前でお肌のケアをする」のと同じで、乳房に関してもお肌と同じようにケアしてあげるという感覚です。それが習慣になり、意識しなくてもできるのが一番良いのではないでしょうか。そのようにお話ししています。

「がん検診」の利益はがん死亡率の低減にあり、利益・不利益についてもしっかり説明した上で受診すべきものであることがわかりました。また、乳がん検診では既に自己触診という言葉は使われず、「ブレスト・アウェアネス」という概念が採用されていることを覚えておきたいですね。

第2回では、ブレスト・アウェアネスの認知向上の取り組みや、⾼濃度乳房における課題について伺います。

ブレスト・アウェアネス啓発による乳房の健康教育への取り組み
~適切な情報提供とは〜