公開:2022年6月8日
更新:2024年7月
エビデンス構築の極意
~本邦における乳がん治療EBM 過去・現在・未来~
近年、目覚しい進歩を遂げている乳がんの薬物治療。その進歩を支えるのが臨床試験です。本邦では今でこそ積極的にグローバル試験に参加し、新しい治療選択肢が次々と導入されていますが、一昔前までは他国とのドラッグラグが叫ばれており、現在のように世界標準の臨床試験に加わる状況は当たり前ではありませんでした。
現在、JCOG*乳がんグループ代表を務められている岩田広治先生は、まだグローバル試験が珍しい時代から数々の臨床試験へ積極的に参加され、本邦における乳がんの薬物療法のエビデンス構築に尽力してこられました。臨床試験に携わるきっかけや、治療を変革させる醍醐味など、これから乳がん治療を志す医療者にとって指針となる貴重なお話を伺いました。
*JCOG:日本臨床腫瘍研究グループ(Japan Clinical Oncology Group)
(取材日時:2021年10月27日(水) 取材場所:ストリングスホテル八事)
愛知県がんセンター病院
副院長/乳腺科部 部長
※現所属 名古屋市立大学大学院医学研究科
臨床研究戦略部 特任教授
岩田 広治 先生
第1回 乳がん薬物療法における臨床試験の歩み
現在、JCOG乳がんグループ代表を務められている岩田先生。第1回では、岩田先生のご経験を交えて、日本における乳がん薬物療法の臨床試験の歩みについて振り返っていただきました。
-臨床試験との出会い、日本の乳がん臨床研究グループ設立の経緯についてお聞かせください。
JCOG乳がんグループ、CSPOR-BC、JBCRG-3つの団体での経験を振り返って
私が臨床試験と関わり始めたのは、1996年、JCOG乳がんグループの参加施設である当施設(愛知県がんセンター)に異動してからのことです。大学では基礎研究に従事していましたので、それとはちょっと毛色の違った研究として、臨床試験という世界を初めて目にしました。
2000年には、新たな研究団体としてCSPOR-BC*が設立され、N・SAS-BC01という試験が開始されました。その試験に当施設も参加したことが、私が本格的に臨床試験に携わった最初のステップのような気がします。
CSPOR-BCではN・SAS-BC01から07までの番号がついた試験が行われていたのですが、私にとってはその一つであるN・SAS-BC05のPI(Principal Investigator;治験責任医師)として立案から関わったことが大きな経験となりました。この試験はNEOS試験とも呼ばれており、術前ホルモン療法を行った上で手術をした患者さんに対し、術前ホルモン療法の効果をレスポンスガイドにして、術後化学療法有り・無しについてランダム化比較をするという研究です。ようやくこの試験のPrimary endpointを2021年12月のSABCS(毎年12月に開催されているAnnual San Antonio Breast Cancer Symposium)にて発表することになりました。登録開始が2008年ですから、足かけ13年というとても長い経過の中でのことになります。
それと同時並行して、JBCRG**というグループにも参加してきました。これは、日本でもトランスレーショナルリサーチに取り組む必要性が認識されてきた中で、特に術前化学療法について焦点を絞って立ち上げた研究団体です。私も初期メンバーの一人でした。
こうしてCSPOR-BCは主に術後薬物療法、JBCRGは術前薬物療法を主体とした臨床試験グループとして走り始めました。一方で、JCOGでは2003年以降、乳がんについての新しい臨床試験が様々な理由により7年間全く動きませんでした。このような状況の中で、その当時のJCOG主要メンバーの先生から私にJCOG乳癌グループ代表を引き受けてほしいという打診があり、2010年からJCOGの代表として軸足をそちらへ移して、全国40施設の協力のもと新規の臨床試験を遂行することになりました。
2021年現在、JBCRG、CSPOR-BCとも代表が引き継がれ、それぞれで臨床試験が遂行されています。自分の医師人生で臨床試験は大きなウェイトを占めています。
*CSPOR-BC:一般社団法人Comprehensive Support Project for Oncological Research of Breast Cancer
** JBCRG:一般社団法人 Japan Breast Cancer Research Group
-臨床試験を推進するにあたって、課題となるのはどんなことでしょうか?
どの臨床試験も患者登録が一番の課題
どの試験にも言えることですが、苦労するのは患者登録です。これは日本の構造的な問題であると理解しています。私も登録数を上げてもらうために様々な工夫をしてきました。例えば、CSPOR-BCでは1例ごとの研究費を増額したり、一定数を登録できたら海外学会に参加する機会を設けたりと、登録いただいた施設の先生方のモチベーションを挙げるように努めました。しかし、登録スピードは全く上がりませんでした。逆にJCOGでは、登録が進まなければその施設をオブザーバーに格下げするといったことも行いました。だからといって厳しくしすぎてもいけませんし、今なお頭を悩ませる問題です。
―医師から患者さんへ説明し同意を得ること(Informed Consent:IC)に難しさはありませんか?
患者さんへの説明および同意(IC)は、プロトコールの正しい理解と熱意で決まる
私自身の経験では、自分が臨床試験のプロトコールをいかに理解し熱意を持って話せるかで、患者さんへの説明および同意(IC)の難しさについてはほぼ解決できてしまいます。まず、標準治療とは現時点で最善と考えられる治療であることをしっかり説明して、その患者さんにとってどのような治療が標準治療であるかということをお話しします。その上で、標準治療よりも期待できる新しい治療があり、それと比べてどちらが有効性と安全性が優れているかを比較する試験を行っているということを説明します。もちろんその根底には患者さんとの信頼関係があることが必要ですが、その上で丁寧に説明すれば、ほぼ断られることはありません。
-先生が臨床試験に携わるようになって以降、新薬開発の状況はどのように変化したでしょうか?
2000年代に入り様変わりした新薬開発-企業治験のグローバル化
かつては海外で開発された薬剤を導入する場合、結果が出てから日本におけるPhaseⅡとして安全性と有効性を単群試験で確認するという、いわゆるブリッジングというタイプの試験が行われて、その結果によって日本でも承認されるという方法が採られていました。
しかし20年ほど前から、日本も海外と同時に大規模なPhaseⅢに参加して、日本人も含めた有効性と安全性を確認した結果をもとに日本の承認を得ようという流れになってきました。乳がんの治療薬で国際共同試験として最初に行われたのがHERA試験1)で、2002年にちょうど私が乳腺外科部長に就任した時のことでした。これによって、「日本もやればできる。日本の医療機関も臨床試験に貢献してくれる」ということが世界に伝わったと思います。こうして世界の各企業がグローバルで行う臨床試験について、日本もPhaseⅢに参加する、あるいは場合によってPhaseⅠやⅡの段階から参加するようになりました。乳がんをターゲットにする薬剤であれば、動物実験が終わった後、ヒトに初めて投与する、いわゆる「ファースト・イン・ヒューマン」の段階から声が掛かるようになって、状況は様変わりしたのです。ですから、昔よく言われていたような、「世界で承認されているのに日本で承認されていない」という形のドラッグラグは解消されてきたような気がします。
1) Smith I, et al.: Lancet 369: 29-36, 2007
“新たなドラッグラグ”-新薬開発の主体が海外ベンチャーへ移り、日本が乗り遅れていく
ところが今、新薬の研究開発の主体が欧米の小さなベンチャー企業に移っており、PhaseⅡまでは日本にも進出しているような世界的大企業が関わることが少なくなりました。将来的に日本が重要なマーケットになるとしても、我々にアプローチが来ないのです。ベンチャー企業が開発した薬剤はPhaseⅢの段階になっても日本には声が掛かりませんから、いきなりPhaseⅢから参加することもできませんし、これが優れた薬剤であるとわかった時に、はたと困ってしまうというわけです。私自身はそれを“新たなドラッグラグ”と呼ぶべきものだと考え、大変危機感を持っています。
この典型例が、現在米国では承認されている、ある本邦未承認の薬剤です。私はSABCSなどでPhaseⅡまでのデータを見ていて、このまま優れた成果が出た時に日本は乗り遅れてしまうと考え、米国の治験参加医師にもコンタクトを取って何とか治験実施企業に繋げて欲しいと頼んでいたのですが、私自身も忙しくてなかなか進展に至らないまま、ついに世界的なPhaseⅢの結果が出てしまいました。隣国の韓国では承認されているのに、日本はPhaseⅠからやり直す状況です。これが今の新たなドラックラグの構造です。
こうした情報はASCO, ESMO, SABCSなどの海外の学会でキャッチアップするしかありませんし、それは一人でできるわけではありません。若い先生方には日本の利益を損なわないように、常日頃から手分けして情報収集するように伝えています。PhaseⅢが始まってからではもう遅いのです。計画段階で入り込んでいく、そのためには開発段階での目利きが大切です。
日本はがんの薬物治療の進歩は目覚ましく、新薬開発のグローバル化が進み海外諸国と肩を並べるものだと思っていました。しかし、実はこのような新たなドラッグラグが生まれているのですね。新薬開発については世界の情報に網を張り巡らせ、積極的に働きかけていかなければ乗り遅れる時代となってきたようです。
第2回では、これから臨床試験に携わる若手医療者に向けたアドバイスを伺います。
エビデンス構築の極意
~本邦における乳がん治療EBM 過去・現在・未来~
2022年6月8日公開
愛知県がんセンター病院
副院長/乳腺科部 部長
※現所属 名古屋市立大学大学院医学研究科
臨床研究戦略部 特任教授
岩田 広治 先生